川が好きだと言う話

昨年末に東京の川をモチーフにした作品を出したので、今回は河川が好きだという話をしたい。ちなみにこの作品は落合先生の授業の成果物で、先生の評判は結構良かった。機会があればまたどこかでやってもいいかな、とか思っている。


暗転と永遠の中で。

 
川にはいろんな要素がある。流れとか境界とか。とりわけ東京の川に限っては暗闇という重要な要素を持ち合わせている。
東京は基本的に眠らない。中心街はネオンが光っているし、住宅街も街灯と家の明かりが深夜までついている。
そんな東京にも暗闇があってその1つが川だ。石神井川とか目黒川とか、或いは渋谷川とか。深く冷たいコンクリートの壁に押し込められその底を静かに流れている川たち。東京の端っこに追いやられてしまった暗闇がそこにあるように思う。
人間は暗闇を消してきた。街からそれを排除するにつれて人は眠らなくなった。休まなくなった。人間の生物的な歩みと文明の進歩は、そのペースが全く噛み合っていない。本当に噛み合っていないのだ。本来であれば人間には暗闇が必要で、僕たちには休息と区切りが必要だ。
暗闇は区切りである。映画にしろ舞台にしろ、暗転は時空間を飛び越えるためのアイテムとして用いられる。僕たちにとって暗闇とは1日を終わらせ、朝を始めるための重要な要素なのだ。
 
僕は11月頃にGoogle マップを見ることにハマっていた。コーヒーを飲みながら、小さな画面に映る地図を覗き込んでいると、川は県境にあることに気がついた。川は、そう!境界!
いやいやいや、本当は境界として川が選ばれるだけだけなんだけど。
電車に乗りながら川を越えると都市構造が変わることに気がつく。東京から抜けると住宅街の中に工場や倉庫が増えてくる。家と家の間隔が広がり、コンビニの駐車場が広くなる。
都市の形って結構違くて面白い。六本木ヒルズの展望台から見下ろす景色は、一面のビル。その中に埋め込まれたかのように学校のグラウンドがある。ところが札幌のテレビ塔に登って街を眺めると、ビルと山のある風景が広がっている。
 

川には水が流れている。水は地球の上で循環している。僕たちも同じように巡っている。今年も春が来て、ゴールデンウィークは何連休だとかの話題で盛り上がって、夏休みになって、クリスマスがやって来て、間もなく正月が来る。

僕たちは去年のクリスマスを思い出すことができる。1日がまわって、1年が巡ってくる。その中でいろいろなことを考えたり、いろいろな人と出会う。そうすると意外にも僕たちは同じようなことを考えたり、悩んだりしていることに気がつく。僕たちは僕たちなんだなと、少しだけ嬉しくなる。