僕はサンタクロースを信じている。

この記事は、mast Advent Calendar 2019 の9日目の記事です。

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古い友人と久々に会うと、なんだか話が合わなくなったりして悲しくなることがある。人は環境に縛られていて、その人が持つ価値観や興味は、周囲との相互作用で変化していくものだ。或いは「常識」というものも環境によって変化するのかもしれない。

 

さて、冬になると肌が乾燥する。僕はいわゆるアトピー性皮膚炎という持病を抱えている。とはいえ僕にとって皮膚炎は自分の性質の一つであるし、大げさなことだと思ったことはない。しかしながら、世の中には耐え難い苦痛とともにこの病気と戦い続けている人が大勢いるはずだから、簡単に取るに足らない病気であるかのように書くのは間違っているとも思う。その病状は外見に直結するわけだし、夏は汗疹、冬になれば乾燥による肌荒れ、夜は痒くて寝付けない。そんな毎日を過ごしているのであればQOLの低下は避けられない。

 

しかし、あらゆる病気というものは当人だけでなく周囲の人間をも悩ませるものだ。僕の場合は両親だろう。とくに乳幼児の頃からこの病気を抱える僕の看病に当たっていた母の苦悩の日々は想像に難くない。

重度のアトピー性皮膚炎はステロイドの塗布薬を使用しながら治療するのが一般的だ。しかし母が子育てに奔走していた当時は、ステロイド剤に対する誤解とそれを増長させる風潮が日本に蔓延していた。ステロイドにはたしかに副作用があるのだが、世間はそれを大袈裟に取り上げるようになったのだ。90年代前半にテレビで有名なキャスターがステロイド剤を「悪魔の薬」と呼称し、脱ステロイド治療法が持て囃され、アトピービジネスが隆盛したという。世間では「ステロイド=危険な薬」という図式が成立していたのだろう。多くの皮膚科医までもが迷走を極め、中には根拠薄弱な自然療法を患者に提案する者まで現れたらしい。僕の母もそんな時代の被害者だった。

当時の主治医が勧めたのはまさしく脱ステロイド療法であった。そして僕の肌に回復の兆しは一向に訪れなかった。その医師は母が治療に尽力していないのではないかと疑いの目を向けるし、病院の待合室では幼い僕のひどく荒れた顔を見た年配女性が母をたしなめたりしたという。他人の「母親がしっかりとした治療を行わないから子供の症状が治らない」と言わんばかりの態度は母を疲弊させた。

変わらない現状と周囲の厳しい目。マスコミが絶大な力をもつ時代、医師までもが勧める脱ステロイド治療法を疑うことなど思いつきもしなかったのだろう。快方へ向かわない僕の病状を前に、母は自身を責めて悩むことしかできなかった。

 

そんなある日、地域で行われた幼児検診に、偶然にも当時皮膚科の権威であった医師が訪れていた。なぜ彼が東京の片田舎の地域検診に割り当てられたのか、どうやら不思議な巡り合わせというものが世の中にはあるらしい。

その医師はアトピー患者であるという僕のことを、検診とは別にその場で無償で診察してくれた。僕の肌を見たその医師は母に「どういう治療をしているのか」と尋ねたと言う。母が病院から処方されていた薬を説明すると彼は「お母さん。それではあなたのお子さんは治らない。病院を変えなさい」と言ったらしい。

今まで信じていたものが間違っていた。まさに青天の霹靂だったのだろう。そうして僕と母は救われたのだ。

母はすぐに通院していた皮膚科の担当医に、薬を変えるように頼みにいった。最初は渋っていたその医者も彼の名を出すとあっさりと手のひらを返したらしい。

その後は通院する病院を変え、僕は快方へ向かったという。

 

現代にだってよくある話だ。20年経っても変わりなどしていない。嘘が真実としてまかり通ってしまう世の中なのである。マスコミや巨大企業の影響が弱まったとしても、それは別の影響力のある者が台頭することの呼び水でしかない。自分の属する環境における常識は真実であり、その真実を疑うことは容易ではないのかもしれない。

この話は今年の夏に帰省した時にたまたま聞かせてもらったことなのだが、妙に感動してしまった。悩んでいる時というのは得てして正常な判断ができないものだろうから、もしも周囲にそういう人がいたら助けてあげるべきだ。そして自分自身としては考えることをやめないこと、判断を他人任せにしないことを心がけていきたい。